息子へ

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理解不能・・・それで良いのだ

我社にいることを交渉材料に

元の会社に戻って行ったよ。

しかもウチの女の子に手をだしてw


ちょっと俺には理解不能だ。

精神破綻していないか?と心配してもしょうがないし。


わけわからんけど・・・

本人がそれで良いなら

それで良いのだ。


まぁ、収まるところに収まったというカンジだな。


アタマで理解しようと思えばわけわからんが・・・


んん。やはりオマエは、そんなもんかと妙に納得したりもして。


第一印象とか直感って大事だな~。。。

不思議な空気プンプン匂わせて

何かフィットしていなかったもんな~。


ある意味OOちゃんがウチの会社守ってくれたのかな。


縁があったようで縁がなかった。

まぁ、それだけのことだ。

それで良いのだ。












  1. 2013/07/18(木) 13:40:21|
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社会主義者よ!


上っ面の管理職よ。

自ら

「偽善者」であることを

認めたなら俺は許すよ。


自ら卑怯者であることを

認めている者を

それ以上追い込むような

ことはしない。


黙って去ってゆくがよい。



但し、相変わらず偽善者ぶって

我が社の財産を貪るなら


更に卑怯な真似をして

侵害を加えるなら


俺は


自力救済も辞さない。


少なくとも

そのくらいの覚悟は持っているよ。







  1. 2013/04/27(土) 12:15:42|
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働かざる者食うべからず

体裁の良い搾取。現代版の搾取。

補助金や規制で社会余剰をむさぼること。

搾取される国家、搾取される企業、搾取される使用者ということが十分あり得る。

補助金や規制という下駄を履いたところほど
左翼系の人たちが労働者面しながら頭でっかちな事を言う。

甘えの構造、中二のガキが絶対安全なところで親父に反抗するように。

弱者保護とか、正義のふりをしながら社会余剰をむさぼる方がよほど卑怯ではないか。

安閑とサボる口実ばかりを考えるなんて俺には出来ない。
人生もったいなくないか。

大事なことは健康体でいること。健やかに自然と調和すること。
それがワクワクするっていうことなんだと思う。



  1. 2013/02/05(火) 20:41:55|
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中学校でダンス必修化???

この4月から、中学校でダンス必修化。

EXILEに合わせてヒップホップ練習する体育教師たち???

頭がクラクラしてきた。

剣道の履修拒否が許されるなら、コチラの代替措置も検討願いたいものだ。

先生各位、日の丸に反対する元気あるならコチラも是非!


まさか業界の圧力でも受けたのではなかろうな。

もう少し、堂々と「まとも」を大事にしませんか?


これを偏狭と言わないで下さい。

義務教育での優先順位の問題です。

やりたい人はやればよい。




  1. 2012/02/14(火) 01:01:30|
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息子文学・・・か。

「村上春樹はいつまでも息子なんです。家長としてものを考えてこなかった(中略)。文学も政治もこの60年間、責任ある主体から逃げてきたんですよ」(猪瀬直樹「思想地図2」91~92項)。

なるほどと思った。あの心地良さは確かに「家長」とか「責任の主体」からはほど遠い安全ニヒリズムな・・

The「息子」かもしれない。少女マンガを読んだときの心地良さとも似ているとも思う。


さて。

権力によって食わせて貰っておきながら、辞する覚悟もなく法令、命令(国家、国旗)を拒否する公務員。

これも息子が親父にイキガッテ「もっとワガママ言わせてくれよ」だな。

そろそろ、通用しないし、そのような態度を生徒の面前で示すことは教育上どうなのだろう。

権利享受主体たる国民の側からは精神的自由権として履修拒否、出席拒否権は論じうるとしても

制度教育の履行者として名乗りを挙げ奉職すべき者が履行拒否することは債務不履行でしかない。


自由市民として、ソクラテスくらいの覚悟があって「悪法も法」と言って命を賭すなら、ソクラテスの勝利と言えるのだが。

勿論、国民の共有する自然な条理が当該法令を真に忌み嫌って「良くぞ言ってくれた」の前提で。


戦後の復興期ならいざ知らず、一部のエリートが大衆を牽引する未成熟国ならいざ知らず

今後、垂直分業から水平分業が進み、フラットなネットワーク社会が進展するに連れ

益々一人ひとりが「責任の主体」であることが求められる。


いつまでも「息子」ではいられないのだ。

自戒を含め。




  1. 2012/01/20(金) 21:44:41|
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